学校と社会

 生まれたばかりの赤ちゃんは、自分の事しか考えることが出来ません。

学校に行ってもまだ自分の事しか考えることの出来ない人がたくさんいます。 学校は自分の勉強が中心ですから、やはり自分のことしか考えられないのかもしれません。

 ところが、社会に出ると、自分のためにいくら頑張っても1円のお金もくれる人はいないので、 それでは人は生きてゆくことは出来ません。 社会というところは、人のために尽くしてお金を頂くところです。 しかも、なお人のためにいくら尽くしてもその努力だけではお金を支払ってくれる人は誰も居りません。 どれだけ役に立ったかという結果にのみお金を支払ってくれるものです。 それが社会の厳しさというものです。

 社会には甘えを受け入れてくれるところはどこにもありません。 甘えとはずるさであり卑怯であるからです。人はそれを許さないのでしょう。 社会は甘え合うところではなく、助け合うところです。 助け合うといってもそれは結果から見てそういえることであって、 現実は人を喜ばせ合う競争をしています。そしてその競争に負けた者は滅びるシステムになっているのです。

 また、どんなに働いても、気に入ってもらうことが出来なかったらボイコットされるのが人間社会です。 それは自分だって感じの悪いお店にはいかないのですから、決して世の中が悪いのではありません。

 人は皆価値観が違い好みが違います。 それを読み取ってどうすれば満足して頂けるのかと徹底的に研究するのが企業です。 学校と違って社会は人の喜びを自分の喜びとしなければ生きてゆけない点が一番大きな違いなのではないでしょうか。



 学校の成績の良い人が社会で成功するとは限りません。
 学校は自分のために頑張るところであり、社会は人のために頑張るところですから、 正反対の価値観というべきものかもしれません。