家庭教育(その1)

 赤ちゃんには善悪の判断がつくはずがありません。

 親の教育のしかたによって人間は善悪というものを少しずつ覚えてゆくのではないでしょうか。

 もし親が子供をペットのように考え、食べる事が一番大切なことであって、他のことはたいしたことではないのだと思っていたとしたら、その子供はきっと動物のような子に育ってゆくことでしょう。

 食べることと同じように「心」というものを親が大切に思っていれば、それが子供にも必ず伝わってゆくことでしょう。

 例えば、親が愛情の大切さをよく知って十分な愛情をかけて育てれば、その子は愛情というものを何よりも大切なことと考える子になり、自分も人に愛情を十分にかける子になってゆくことでしょう。

 しかし、愛情とは本人の好きなようにさせてやることであると思っていると、やはり動物と同じように無分別な恐ろしい一面を持つ子に育ってゆくかもしれません。

 世の中で一番恐ろしいことは自分のことしか考えないことです。そこには常に争いが絶えません。人間は人を思いやる心をもって人の為に尽くすことが出来なければ生きてゆけない生きものです。

 なぜならば、人間は人の為に働かなければ生きることは出来ない社会的動物であるからです。つまり、自分の満足よりも先に人に満足して頂くように尽くすことを働くというのですから、どうすれば人に喜んで頂けるかということを考える習慣を子供の時から身につけてそれを育てておかなければならないのではないでしょうか。

 それは人を思いやる心であり、人の為に尽くす心です。

 またその他にも善悪を教えなければなりません。良心や分別や人を理解する心や信じる心などと、大切な心は沢山あります。

 家庭教育とは、まず親の勉強が何よりも大切なことではないでしょうか。



 七つほめて三つ叱るのがよいといわれます。
 ほめられるということは、認められたということであり、そこに自己の確立が生まれてゆきます。叱るのではなく疑問を投げかけるのがよいのかもしれません。