なんとしてでも

 
 試合に勝つためには、何としてでも勝つという執念のような信念があると、自分の実力以上の力を出すことが出来ます。

 技と読みがなによりも大切なものではありますが、そこに精神力が加わるとさらに大きな力が生まれることは確かです。

 なんとしてでも勝つのだという思いが精神力となって、火事場のくそ力といわれるようなものが生まれてくるとしたら、試合に限らず何ごとに於いてもそうした精神力は、必要なことであるといえるのかもしれません。

 では商売の場合はどうでしょうか。

 「商売は利益を追求するものですから、なんとしてでも儲けるのだ」といってやっているとお客様は逃げてしまいます。

 儲けたいと思うなら、まずそれだけお客様を喜ばせなければなりません。喜ばれた分だけ信用となりそれが繁昌へとつながります。

 試合も勝ちたいと思うなら、その分だけまず練習に力を注がねばなりません。なんとしてでも勝ちたいという思いの強さを、試合よりもむしろ練習に向けるのです。

 つまり何事も、目的の前にはクリアーしなければならない壁があり、その壁をどうクリアー出来るかということが一番大切であるということになるのではないでしょうか。

 「人事を尽くして天命を待つ」という諺があるように、まずやるべきことは試合なら練習であり、商売ならお客様に喜ばれることであるはずです。

 つまり勝つということも儲けるということも、それは実は結果であるというべきものかもしれません。

 とかく人は何事に於いても、目に見えることばかりに心を奪われがちですが、練習の時に、もう試合は始まっているのではないでしょうか。

 
 
 試合は練習を見ればわかるし、商売もお客様をどれだけ喜ばせているかを見れば先がわかるというものではないでしょうか。