先生は親代わりではない

 親というものは、たとえ子供が間違っていても、子供の為ならば世界中を敵にまわしてでも戦います。それが親心という本能かもしれません。

 何が正しいかの追求の前に、子供が可愛いという愛情の方が先行します。愛情ゆえに正しさとは何かを教えようとします。

 先生は、まず自分の責任と義務を先行させて、その後に子供を愛さなければいけないと自分に言い聞かせて努力します。

 学校の先生は生徒を愛するのが一番の仕事ではなく、勉強を教えるのが一番の仕事です。

 その為に理性の方が勝つ結果となり、生徒はどうしても近寄ると厳しさや冷たさのようなものを感じることもあります。先生の毅然とした態度に生徒も厳粛な気持ちとなって自分への厳しさや努力が生まれて来るものではないでしょうか。

 先生は自分の全てをさらけ出さないでえりを正しておく方が、生徒はその中を覗きたいという心理が働いて前に進んで来るものだと言われます。

 やる気と自主性を引き出しながら、勉強を通して人間形成のお手伝いをするのが先生の本当の仕事というものではないでしょうか。

 先生は尊敬と信頼を集めなければなりません。その為にはまず自分が光り輝いて注目されなければ生徒達は興味を示してくれません。

 自分が輝くより子供を輝かせようとし、その為ならドロをかぶっても平気なのは親です。そして自分の弱さも平気でさらけ出します。

 だから親のそばに来るとホッとする温かさを感じるのかもしれません。

 いつの時代でも先生のあり方は問われるところですが、むしろ親のあり方次第で子供の人間形成の基礎が出来るのですから、家庭教育の重要性がもっと認識されるべきではないでしょうか。

 一番しっかりしなければいけないのは親であるのかもしれません。



親の背を見て育ったのが今の子供達であるのですから、大人になるべきは親であり、心の成人すべきは親なのではないでしょうか。