幸せになれる人もあればなれない人もあるのは、何か原因があるのではないでしょうか。 山登りの好きな人は、山の話をするだけで嬉しくなります。そして登る厳しさや苦労も楽しいものです。 幸せになりたい人は、幸せについての話をするだけでも楽しいし、そしてまた幸せへの努力も楽しいものです。 幸せとは形だけではなく気持ちの問題です。 そして結果よりも努力をしている時の方が希望に満ちているからもっと幸せな時であるのかもしれません。 希望に輝いていつも幸せそうな顔をしている人が居たら、その人の顔をジッと見ているだけでなぜか幸せな気分になって来るものです。 はじめに幸せそうな顔をした人も、自分が元で相手に幸せな気分にしていることに気付いたら、今度は自分も本当に幸せな気分になって来るものです。 反対に自分が嫌な顔をしていると、やがて廻り廻って自分自身の心までも本当に嫌な気分になってきます。 幸、不幸の種は自分が蒔いているのかもしれません。 人の心を幸せな気分にしてあげたいと思う心は素晴らしい心です。 自分が他人に幸せの花を咲かせてあげたとしたら、その美しい花を見た自分の方がもっと幸せな気分になれるのです。 幸せは遠い将来にやってくるものと思うより、今の現実を幸せの花でいっぱいにすることから始めてみることもよいことではないでしょうか。 今、ちょっと幸せそうな顔をしてみることで、それが種蒔きとなるのです。そして幸せな花を沢山咲かせたら、その数だけ人はきっと陽気になれることでしょう。 |
子供を育ててみてはじめてわかる親の恩と言います。 あまえが原因で子供が親をうらむことがあったとした ら、もうその時は子供の将来はないのかもしれません。 |