人が生きてゆくためには、植物や動物の命の犠牲を必要とします 野菜や魚や肉を美味しいとも言わずに食べたり、残り物だと言って平気で捨てたりすることがあります。動物にとっては地獄のようなものです。 また、人が生きてゆくためには、他人の苦労の犠牲を必要とします。企業間の競争は食うか食われるかの命がけの厳しさがありますが、そこには見えないところで沢山の犠牲が払われているものです。 目の前のあらゆる製品やサービスは人々が一生懸命に働いた賜物ばかりです。 人間が今日一日を生きてゆく上には、見えないところで多勢の人々の陰の苦労にどれだけ支えられていることか計りしれません。 自分の今日一日のために、動植物の命の犠牲や、人々の労力の犠牲があることを少しは考えてみることも大切なことではないでしょうか。 そう考えてみると、果たして自分は一体何を人のために役立ったり、犠牲になったりしているのでしょうか。 人がお互いに生きるためには犠牲は必要なものです。 しかし、もし犠牲になることをばからしいと思いながら働けば、だんだんと不快な気分がつのるだけでこんなみじめなことはありません。やがてこの世は地獄と思えてくることでしょう。 ところが犠牲を犠牲とも思わず人に喜ばれたいと思って勇んで働くならば、この世は素晴らしいものに思えてくるに違いありません。 親は子供に犠牲を犠牲とも思わず尽くすから、天国のような信頼関係が生まれます。 この世を地獄にするも天国にするも、それは心一つにかかっているのではないでしょうか。 |
心を持たない動植物の命の犠牲は可哀想でなりません。せめて美味しいと言って食べてあげたいものです。 |