親しまれる人

 

 優しくすると成長する人と、ダメになってゆく人とがあります。

 厳しくすると成長する人と、ダメになってゆく人とがあります。

 よく見分ける必要があることは当然のことですが、これは大変難しいことです。

 自分は優しくするのが好きだからと言っても、それで人がもしダメになっていったら、それは相手が悪いのではなく、自分が罪なことをしたことにはならないでしょうか。

 自分と接すると人がよくなっているのか悪くなっているのかは、案外気づかないところで起きているのかもしれません。

 例えば会社の場合、社長の人柄が社員の端々にまで及んでゆくものであるとよく言われます。

 だから、別に取り立てて優しくしなくても厳しくしなくても、その会社のカラーとして自然に一人一人に社長の姿勢は影響を及ぼしてゆきます。

 社長が自分に厳しく人に優しい人であったなら、まわりの人もだんだんとそのようになってゆきます。

 そういう社員に接するお客様も、そこに信頼や親しみを感じることでしょう。

 白い砂糖にはアリも集まって来ますが、白い塩には集まって来るものはなにもおりません。

 いくら自分が完璧であっても、親しみを感じてもらえなかったら宝の持ち腐れです。また親しまれても中毒を起こされては値打ちはありません。

 値打ちは、自分が誇るものではなく、人が決めるものであり、結果が決めるものではないでしょうか。

 誰からも親しまれるようになってこそ、それが人間の完成であるのかもしれません。
 
 親しまれるということは、必要とされるということです。
 世の中でもっとも悲しいことは誰からも必要とされないことではないでしょうか。